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福岡地方裁判所 昭和63年(ワ)1674号 判決

原告

久保節男

原告

久保君子

右両名訴訟代理人弁護士

村上與吉

伊藤祐二

被告

右代表者法務大臣

田原隆

右指定代理人

福田孝昭

外九名

被告

宮崎県

右代表者県知事

松形祐堯

右訴訟代理人弁護士

殿所哲

右指定代理人

岩切孝一

外六名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告らそれぞれに対し、連帯して金二〇〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年七月一四日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨(被告国は仮執行免脱宣言の申立)。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  本件事故の発生

(一) 事故現場

後記(二)記載の事故現場は、えびの高原バス発着所付近から宮崎、小林方面へ向けて県道(通称霧島道路)を約1.5キロメートル程進行した通称「硫黄山」及び「小地獄」と呼ばれる硫黄を含んだ噴気の多い地域の近くである。

右事故現場の近くには遊歩道が設置され(以下「本件遊歩道」という。)、同遊歩道は、霧島道路の南側にある韓国岳に登る登山道にもあたる道路で、事故発生地点は、霧島道路から本件遊歩道を韓国岳に向けて約一〇〇メートル程登ったあたりから、歩道脇の斜面を南方へ約8.5メートル下った地点である。

(二) 事故の態様

亡久保啓明(以下「啓明」という。)は、昭和六〇年六月三〇日、熊本県人吉市内から自動車を運転して観光のため宮崎県えびの市内のえびの高原へ出かけ、午後三時頃、「硫黄山」付近において霧島道路傍らの駐車場に車を駐車し、徒歩で本件遊歩道を散策中、本件遊歩道脇の岩に腰掛けて休息していたところ、突然地盤が陥没して噴気孔ができたため、岩もろとも同孔(別紙図面◎地点で本件遊歩道から約8.5メートルの所)に転落し、そこに流れていた熱湯を全身に浴び、全身熱傷の傷害を負った。啓明は、事故後すぐに救急車で病院に運ばれ入院治療を受けたが、昭和六〇年七月一三日、国立南九州中央病院で死亡した(以下これを「本件事故」という。)。

2  被告らの責任原因

(一) 営造物設置管理の瑕疵

(1) 本件事故現場であるえびの高原は霧島屋久国立公園に指定されている霧島火山群の中の一地域で、観光地として多数の観光客が訪れる場所である。

(2) 本件遊歩道及びその道路付近は通常は堅い土と岩石からなる土地であるが、本件事故現場付近は、雨水が地中に浸透すると地中の土が流されて空洞を作りやすく、しかも、その空洞中には摂氏一〇〇度近い熱湯が地下水として流れている場合がある地域である。かかる空洞の生じた箇所は、石や人の重みで陥没する危険性が高いが、表面上は安定した地盤と区別しがたい状況である。

(3) 本件遊歩道及びその道路脇は、多数の観光客や韓国岳への登山客などが何の危険も予知せずに散策したり、休憩したりしているが、前記のような地盤の状況から、降雨の直後などの場合、その加重によって陥没する危険性が極めて高い。そして、このような陥没の危険は、特に警告されない限り、観光客には予見できないところ、利用導線としての本件遊歩道は、観光客にとっては順路を示す意味及びそこを歩くほうが歩き易いという程度の意味しか持たず、また、本件事故当時設置されていた注意看板も右のような危険がある旨を観光客に知らせる効果を持つものではない。

したがって、本件遊歩道周辺においては、監視人を置いて遊歩道からはずれることの危険を呼びかけるとか、道路脇に出ないように柵などの工作物を道路境界に設置するとか、或いは、陥没の起こりやすい場所には立入禁止の標識を設置するなどして事故の発生を防止する措置を採らない限り、本件のような事故発生の可能性が極めて高い。

しかるに、本件事故当時、右のような事故の発生を防止する措置は全く施されておらず、本件遊歩道付近は自由に歩き回ることが可能な状況に放置されていたのであるから、本件遊歩道の設置管理に瑕疵があったというべきである。

(二) 被告宮崎県の責任

被告宮崎県は、公衆の用に供されている本件遊歩道の設置管理者であり、前述のとおりその設置管理について瑕疵があったから、国家賠償法(以下「国賠法」という。)二条一項により、本件事故により生じた損害を賠償すべき責任がある。

(三) 被告国の責任

被告国は、自然公園法二六条に基づき、本件遊歩道に関連する宮崎県執行の公園事業費について国庫補助金を交付しており、国賠法三条一項の公の営造物の設置管理費用の負担者に該当するから、本件事故により生じた損害を賠償すべき責任がある。

3  損害

(一) 啓明の損害

(1) 逸失利益

イ 給料分の逸失利益

啓明は、事故当時、熊本県技術吏員として球磨農業改良普及所に勤務し、少なくとも年間二六九万円の給与(賞与を含む)を得ていた。啓明は、本件事故当時三二歳で、地方公務員のため六〇歳定年制であることからすれば、就労可能年数は二八年である。右収入及び就労可能年数を基に生活費控除を五〇パーセントとし、新ホフマン係数によって中間利息を控除すると逸失利益の現価は二三一六万二四四六円となる。

ロ 昇給分の逸失利益

啓明は地方公務員であるから、将来定期昇給を受けていくことが確実である。その場合、六〇歳の定年時には、熊本県で実施されている高齢者の昇給停止措置を適用されたとしても、熊本県行政職給料表にいう六級二二号にはなっているはずであり、右等級の月額は、現在の給料表(平成二年度分)でみると三八万二三〇〇円であるから、毎年月額七九五〇円ずつ昇給することとなる。したがって、七九五〇円に一二か月を乗じた九万五四〇〇円ずつ毎年増収していくこととなる。この年額から生活費五〇パーセントを控除すると年額は四万七七〇〇円である。そこで、右昇給による定年まで二八年間の増収分の現在価を求めると(将来の総昇給額の現価を算出するための平均昇給年額に乗ずべきホフマンPn係数215.5769)、一〇二八万三〇一八円となる。

ハ 退職一時金分の逸失利益

啓明は、熊本県職員として六〇歳の定年の際には二三九七万二一〇円を下らない退職金を取得したはずであり、これを基に中間利息を新ホフマン係数により控除すると、その現価は九九八万五九八九円となる。そして、啓明の死亡により四一万五五〇〇円の退職金の支給を受けたので、これを控除した退職金の逸失利益は九五七万四八九円である。

(2) 慰謝料

啓明は、事故後二週間を経て死亡しており、この間熱傷による苦痛を受けたことを考慮すれば、啓明の精神的苦痛に対する慰謝料は二〇〇〇万円が相当である。

(3) 原告らの相続

以上によれば、啓明の逸失利益及び慰謝料の合計額は六三〇一万五九五三円となり、啓明の両親である原告らは、それぞれ右合計額の二分の一である三一五〇万七九七六円ずつを相続により承継取得した。

(二) 原告らの損害

(1) 葬儀費

啓明の葬儀につき原告らは一〇〇万円を下らない費用を支出した。

(2) 弁護士費用

原告らは、本件訴訟の遂行を本件訴訟代理人らに委任し、その費用として被告らが負担すべき額は四〇〇万円が相当である。

4  よって、原告らはそれぞれ右三四〇〇万七九七六円の損害賠償請求権を有するが、そのうち、それぞれ二〇〇〇万円及びこれに対する啓明死亡の翌日である昭和六〇年七月一四日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告らの主張

1  請求原因1(一)の事実は認める。

2  同1(二)の事実中、本件事故発生前、啓明が本件遊歩道を散策していたことは知らない。啓明が遊歩道脇の岩に腰を掛けて休息中、突然岩が陥没して地中に転落したとの事実は否認する。その余の事実は認める。但し、事故発生地点は、本件遊歩道から約9.5メートル南の別紙図面記載の所である。

啓明が、本件事故当日車を駐車した場所から本件事故現場付近に至った経路は明らかでないが、同人は、白煙の上がっている噴気現象に興味を覚えて、本件遊歩道から、南方に急傾斜している斜面を下って本件事故地点に至り、足元の不安定な状態のままその噴気現象を直近で観察しようとしてバランスを崩し、硫気口内に転落したものと推測される。

3  同2(一)の事実中、(1)の事実は認めるが、(2)、(3)の事実及び主張は争う。

4  同2(二)は争う。

5  同2(三)の事実中、被告国が本件遊歩道の設置管理費用として、昭和三六年度中に被告宮崎県に一〇〇万円の補助金を交付したことは認めるが、被告国に国賠法三条一項に基づく賠償責任があることは争う。

6  同3は争う。

7  営造物の設置管理の瑕疵について

(一) 一般に、営造物の設置又は管理の瑕疵とは、当該営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいい、通常有すべき安全性を欠いているとは、事故の発生について、①当該営造物にその危険性が存すること、②設置管理者においてその予見可能性が存すること、③設置管理者において回避可能性が存することの三要件が存するにもかかわらず、管理者が事故の回避措置を採らなかったことであり、かつ、右三要件はいずれも「通常」性の範囲内にあることが必要であり、その要件の判断は、諸般の事情を総合考慮した上、具体的個別的にすべきものである。

ところで、自然公園は優れた自然の風景地それ自体を保護の対象とし、広く一般の利用に供することを目的としているもので、その優れた自然の風景地には、深山、幽谷、池沼、噴火口など危険な個所も数多くある。そして、危険性を有する風景地であっても、それをそのままの状態で保護することが自然公園の在り方であるから、そのような危険な個所といえども、優れた自然の風景地として可能な限り一般の利用に供するとすれば、利用者においても危険を避けながら自然に接しなければならないものというべきである。

(二) 本件事故発生当時、本件遊歩道は舗装され整備されていたのであって、本件遊歩道自体には通行上何らの危険性も存しなかった。

本件事故発生地点は、本件遊歩道から、大小の岩石が無数に点在する足場の悪い急な斜面を南方へ約9.5メートル下った地点であって、本件遊歩道を利用する歩行者が、同歩道から外れて立ち入ることが通常予測できない場所である。また、本件事故当時、別紙図面①、②の1、②の2の各地点のほか、③地点のやや西寄りに硫気の噴出で危険であるから立ち入らないよう知らせる注意看板が設置されており(任意団体えびの高原自然保護対策協議会が設置したもの)、これまで本件と同種の事故が発生したことはなく、本件事故地点がとりわけ危険だとして柵等の防護措置を講ずべきことを求める利用者や施設関係者の要望もなかった。

さらに、硫気の噴出現象は、その時々の天候や時の経過によって一定しておらず移動するもので、その硫気噴出個所を特定し難い。本件事故現場の噴気孔がいつから存在したのか明らかでないが、本件事故前数日続いた雨で俄に硫気現象が生じて噴気孔が生じたものであるとすると、道路管理者ないし公園管理者らにとって、本件事故現場において本件のような事故の発生を仮に予見しえたとしても、その回避の措置を採ることは事実上不可能である。

(三) したがって、本件遊歩道の設置管理者である被告宮崎県に、同遊歩道の設置管理上の瑕疵はなく、本件事故は、専ら、啓明が危険性を顧みず敢えて本件遊歩道を逸脱して危険なガレ場を下りた特異な行動により発生したものである。

8  被告国の国賠法三条一項の賠償責任について

国賠法三条一項の賠償責任を負うべき費用負担者とは、当該営造物の設置管理費用について法律上負担義務を負う者のほか、この者と同等若しくはこれに近い費用を負担し、実質的にはこの者と当該営造物による事業を共同して執行していると認められる者であって、当該営造物の瑕疵による危険を効果的に防止しうる者も含まれると解されるところ、本件遊歩道の設置管理費用に関して、被告国が本件事故時までに補助金を交付したのは、公園事業の執行を承認した当初である昭和三六年度の一回限りで、しかもその事業費用二〇〇万円の二分の一である一〇〇万円を補助したものに過ぎず、その後、被告宮崎県は昭和五三年に舗装化しているが、被告国はその費用は全く負担していない。したがって、被告国が本件遊歩道に関して、被告宮崎県と同遊歩道の設置管理の瑕疵による危険を効果的に防止しうる共同費用負担者ないし共同事業執行者と見ることは相当でない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一本件事故現場の状況

昭和六〇年六月三〇日、啓明は自動車を運転してえびの高原へ出かけ、霧島道路に車を駐車して、歩いて本件事故現場付近に至ったこと、本件事故現場は、えびの高原バス発着所付近から宮崎、小林方面へ向けて霧島道路を約1.5キロメートル程進行した通称「硫黄山」及び「小地獄」と呼ばれる硫黄を含んだ噴気の多い地域の中にあること、啓明が通った本件遊歩道は、霧島道路の南側にある韓国岳に登る登山道にもあたる道路であること、本件事故発生地点は、霧島道路から右遊歩道を韓国岳に向けて約一〇〇メートル程登ったあたりから、歩道脇の斜面を南方へ約九メートル下った地点であることは、当事者間に争いがない。

また、検証の結果、〈書証番号略〉、証人安田達行、同杉元克己及び同熨斗新八郎の各証言によれば、本件事故当時、本件事故現場付近(霧島道路にある韓国岳登山口バス停付近に三箇所及び本件事故現場から四〇数メートル東方に一箇所)には、「この付近は熱気を噴出していて危険です。近寄らないでください。」等あるいは「この付近は硫気が噴出しており危険ですので立ち入らないで下さい。」と記載された注意看板が設置され、一般観光客に対して噴気孔に近寄らないよう注意を呼びかけていたこと、本件事故現場は、舗装された遊歩道と大小無数の岩石のガレ場となっている沢との間の斜面の中腹に位置し、付近一帯は硫黄分を含んだ噴気のため地表が淡黄白色を呈していること、本件遊歩道を通行する者は、主に韓国岳の登山者あるいは噴気現象が一段と激しく起こっている「大地獄」「小地獄」と呼ばれる場所を見物する観光客であること、本件事故現場付近の本件遊歩道南側斜面は、傾斜が急で足場が悪い上、所々で噴気現象が起こっている噴気帯ではあったものの、いわゆる「地獄」と呼ばれるような活発な噴気現象が固定的・恒常的に起こっている場所ではなかったこと、また、本件事故現場付近の本件遊歩道より南側には、観光の対象となるようなものはなく、通常観光客が立ち入ることはないこと、本件事故現場付近において、本件事故以前に表面的には何ら異常のない地表が突然陥没し、熱傷を負うという事例はなかったこと、が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

二本件事故の態様

1  啓明が昭和六〇年六月三〇日午後三時ころ本件遊歩道から約九メートル南へ下った地点において噴気孔に転落し熱傷を負ったこと、同人が同年七月一三日に死亡したことは、当事者間に争いがない。

そして、〈書証番号略〉によれば、本件事故発生の翌日警察官が本件事故現場を見分したところ、啓明が転落した噴気孔は長径約一メートル二〇センチ、短径約七八センチの楕円形の穴であり、底には二〇センチから五〇センチ程度の深さの熱湯が溜まっていたこと、右噴気孔の中に大きな岩石等は存在しなかったこと、が認められる。

2  原告らは、本件事故の態様につき、啓明が腰掛けていた岩の地盤が陥没して噴気孔ができ、岩もろとも同孔に転落したものである旨主張し、これに副う証拠も存するので、以下同証拠の信用性につき検討する。

(一)  啓明が本件事故後収容された国立南九州中央病院の医師具志堅隆が昭和六〇年七月一三日付で作成した死亡診断書二通(〈書証番号略〉)には、本件事故発生の状況につき、「腰掛けた岩が突然崩れて、熱湯が溜まっていた穴に転落した。」旨の記載があり、同医師が平成三年三月一三日付で作成した書面(〈書証番号略〉)には、「前記死亡診断書記載の事故発生の状況は、入室して症状が落ちついてから患者本人から直接聞いたものです。」との記載がある。また、原告久保君子本人尋問の結果中には、「本件事故当日の午後一〇時半頃国立南九州中央病院で啓明に面会した際、啓明は、石に腰掛けたら急に崩れて落ちたと言って絶句した。」旨の供述がある。

しかし、〈書証番号略〉、原告久保君子本人尋問の結果によれば、(1)啓明は、本件事故当日の午後七時五〇分頃、小林市民病院から具志堅医師の勤務する鹿児島市内の国立南九州中央病院に転送されてきたものであること、(2)啓明は同病院到着後直ちにICU室に収容されたが、その時の啓明の症状は、意識はあったものの、全身の九三パーセントが重度の熱傷で、血圧も極度に低下し、大量輸液による血圧の維持が必要であったこと、(3)同日午後九時過ぎ、啓明の母親である原告久保君子が同病院に駆け付け、以後鹿児島市内の旅館に宿泊して啓明が死亡するまで毎日病院に啓明を見舞っていたが、その間、啓明は事故状況等を尋ねられると興奮しがちであったため、原告君子は、啓明に詳しく本件事故発生状況を尋ねることができなかったこと、が認められる。

右判示の国立南九州中央病院に収容後の啓明の症状に照らして考えると、啓明は、具志堅医師や原告君子に対し、「熱湯の溜まった穴に落ちた。」という程度のごく概括的な事情の説明をすることはできたとしても、さらに、本件事故発生状況等につき誤りなく正確に聞き手に説明をすることは極めて困難な状況にあったと推認される(医師としての立場からは詳細な事故発生状況を知る必要もなかったものと考えられる。)。したがって、本件事故発生状況に関し原告らの主張に副う前記各証拠はたやすく信用できないものといわねばならない。

(二) 啓明の職場の上司である球磨農業改良普及所長工木淳義が昭和六〇年七月八日付で作成した事故顛末書である〈書証番号略〉にも、本件事故の発生状況に関し、原告らの主張に副う記載部分がある。しかし、右記載は、主治医の説明を根拠とするものであり、前記一に判示のとおり、具志堅医師が正確に本件事故発生状況を把握し得たものといえない以上、右報告書の記載をもって、本件事故発生状況認定の証拠とすることはできない。

また、啓明の職場の同僚であった証人山中孝一は、「本件事故発生の翌日、事故状況の調査のため本件事故の現場に赴いた際、陥没して落ちたと聞いた。」旨証言している。しかし、同証言によっても、山中に右のような話をした者が、警察官、公園管理事務所職員及び営林署職員のいずれであったか不明というのであり、また、陥没したとの話も断定的なものではなかったとも証言しており、本件事故発生状況に関する右山中証言は、極めて曖昧であってたやすく信用できない。

(三)  以上判示の証拠のほか、本件事故発生状況に関し原告らの主張を裏付ける的確な証拠はなく、結局本件事故が原告ら主張のような態様で発生したことを認めるに足りる証拠はないものといわざるをえない。

3  そこで、さらに本件事故発生状況に関する他の証拠により本件事故の態様を検討することとする。

(一)  〈書証番号略〉(警察官作成の昭和六〇年七月一日付報告書)添付の図面に本件事故が発生した噴気孔の概略図が記載されているところ、同図によれば、前記1に判示の噴気孔のうち約三分の一に相当する部分について「陥没したと思われる部分」との表示がなされている。同事実は、本件事故の翌日である昭和六〇年七月一日に警察官が本件噴気孔を見分したところでは、本件噴気孔のうち少なくとも三分の二の部分は、本件事故が発生する以前から既に生じていたと判断されるような外観を呈していたことを示すものといえよう。

(二) 〈書証番号略〉によれば、本件事故発生の翌日の午後一時三五分頃、えびの警察署警察官東別府則雄は、啓明の症状を尋ねるため国立南九州中央病院の具志堅医師に電話したが、その際、同警察官は、熱傷の原因について同医師から「啓明は、熱傷の原因について、噴気孔を見ていたらバランスを崩して落ちた、と話した。」旨の回答を得たことが認められる。警察官が具志堅医師から回答を受けた右事故発生状況は、本件事故発生後警察官によって見分された前記一の噴気孔の状況とも符合するものである。

(三)  証人杉元克己の証言によれば、財団法人自然公園美化管理財団えびの支部職員でえびの高原内の公園施設の管理等に従事している杉元克己は、本件事故発生直後警察官に応援を求められて本件事故現場に駆け付けたが、その際、啓明は、警察官の質問に対し、「煙若しくは湯気が出ていたので行ったら落ちた。」と答えており、「陥没した。」あるいは「穴があいて落ちた。」等の表現は全くしなかったことが認められる。

(四) 右(一)ないし(三)に判示の事情に前記一及び二1の事実を総合すれば、昭和六〇年六月三〇日午後三時ころ、啓明は、路上に車を駐車させた後、歩いて本件事故現場付近まで至り、本件遊歩道から南へ足場の悪い斜面を下りていたところ、何らかの原因でバランスを崩し、誤ってそれ以前から同所に存在していた本件噴気孔に転落したものと推認される。

三被告らの責任原因

1  国家賠償法二条一項にいう公の営造物の設置管理の瑕疵とは、公の営造物がその設置管理上通常備えるべき安全性を欠く場合をいい、その瑕疵の有無は、当該営造物の構造、通常の用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的個別的に判断すべきものである。ところで、本件遊歩道が、その本来の用法である歩行者がその上を通行する道路として使用される限りにおいて、物理的構造及び機能面の瑕疵が存在しなかったことは、弁論の全趣旨から明らかでありこれに本件事故の態様が前記二3(四)に認定のようなものであったことを考え合わせると、結局本件において検討すべき公の営造物の設置・管理の瑕疵とは、本件遊歩道の設置管理者たる被告宮崎県に、啓明のように本件遊歩道から外れて歩行する者を予測して何らかの安全性確保の措置を採るべきことが要請されるか否かにあるので、以下この点につき検討する。

前記一に判示のように、(1)本件事故発生地点は、本件遊歩道から南へ約九メートル傾斜の急な足場の悪い斜面を下りた場所であること、(2)右地形に加え、本件遊歩道から南側には観光の対象となるようなものもないため、通常観光客が立ち入ることはないこと、(3)本件事故現場付近は活発な噴気現象が恒常的に発生している場所ではなく、本件事故以前に地表陥没による事故が発生したこともないこと、(4)本件事故現場付近には、硫気等の噴出による危険があることを知らせる看板が設置されていたこと、このほか前記二3に判示のように、本件事故は啓明が既に存在していた噴気孔に自ら近付いて転落したものであり、啓明が噴気孔に近付かぬよう注意して行動しておれば、本件事故の発生を防ぐことが十分可能であったと考えられること、以上のような事情に照らして判断すると、被告宮崎県において、本件遊歩道利用者の安全確保のため、本件事故現場付近の遊歩道から南へ斜面を下りて立ち入る者があることまで予測して、柵の設置やその他右地域への立入り防止のための措置を講ずべきことが要請される事情が存したと解することはできない。むしろ、本件事故は、本件遊歩道の設置管理者である被告宮崎県において通常予測することのできない啓明の行動に起因するものであったというべく、本件遊歩道の設置管理上具有すべき安全性に欠けるところがあったとはいえない。したがって、原告らの被告宮崎県に対する請求は理由がない。

2  原告らの被告国に対する請求は、被告宮崎県に設置管理者としての責任があることを前提として費用負担者としての国の責任を問うものであるから、前項判示のとおり被告宮崎県に対する請求が理由がない以上、その余の点につき判断するまでもなく、原告らの被告国に対する請求も失当というべきである。

四以上のとおりであるから、原告らの被告らに対する本訴各請求はいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官湯地紘一郎 裁判官西川知一郎 裁判官中牟田博章)

別紙〈省略〉

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